ーまずは光燿さんご自身のこと、それから劇団立ち上げまでの経緯を教えて下さい
幼い頃からピアノやバレエを習っていて、小学校の頃には安室奈美恵さんに憧れてダンスもスタート。高校生の頃はダンサーを夢見ていましたが、親の反対や自身の実力不足もあって断念して...、その時にミュージカルの存在を知ったんです。調べてみたら札幌にミュージカルの劇団って数少ないし、日本全体で見ても首都圏でしか見られない事がほとんどですよね。「じゃあ私が作る!」って決意したのが高校3年生の頃でした。
ー高3ですごい決断力!
でも歌なんてまともに歌ったことがなかったので、いきなりミュージカルをやろうと思っても、全っ然ダメで(笑)。それで勉強しなきゃなと思って、札幌大谷女子短期大学音楽科声楽コースに進学。1年生の時に執行委員長、いわゆる生徒会長になって「ウエストサイドストーリー」を上演、さらに翌年にはオリジナル作品も手掛けました。そして2004年、卒業と同時に何人かの仲間と女性だけのミュージカル劇団「もえぎ色」を旗揚げしたんです。
ー就職とかすっ飛ばしてますもんね(笑)立ち上げ当初はどう活動したんですか?
最初は何の知識も経験もなく、右も左もわからない状態。上演させてくれる場所との繋がりも作らなければなりませんでした。
舞台そのものも手探りで照明や音響も作り、弟や友達、衣装も母親など身内感を巻き込んで作っている状態。知識も技術もない中、 「とにかくミュージカルで食べていく」っていう執着心だけで動いていたんですけど、2回目の公演の時にはみんな辞めちゃって、私一人になりました(笑)。なかなか同じ想いで活動してくれる仲間はいませんでしたね。